10 | 2010/11 | 12

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大河ドラマ 『龍馬伝』 第44回 レビュー 

大河ドラマ 『龍馬伝』 第44回 「雨の逃亡者」を観ました。


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今回の『龍馬伝』。史実の「イカロス号事件」を題材していましたね。いやー、『龍馬伝』では海援隊が見事に福岡藩の藩士 金子才吉が真犯人である事を突き止めていましたね。それ程の行動力があるなら、近藤長次郎を死なせる事も無かったろうに…と、感じたのは ここだけの秘密です。。。 けれども、その証拠は、執拗に坂本龍馬に執着している朝比奈昌広に、見事に握り潰されていましたね。朝比奈昌広は何故に それ程までに龍馬に執着しているのでしょうね。ちなみに、史実の朝比奈昌広と坂本龍馬には因縁は一切ありません(おいらが知らないだけかもしれませんが)。もしかしたら、権力(朝比奈昌広)に立ち向かう自由人(坂本龍馬)という構図がトレンディドラマの進行上、とっても都合が良いのだろうか…と、感じたのは ここだけの秘密です。。。 そして、坂本龍馬は 単身 ハリー・パークスのもとへと赴き、「イカロス号事件」の嫌疑を見事に晴らしていましたね。一介の行商人であり、長崎では脱藩浪士として活動している筈の龍馬が、英国公使に あれ程 簡単に会う事が出来るのだろうか…と、疑問を感じてしまったのは、ここだけの秘密です。。。 更に龍馬は、なんちゃって隠れキリシタンのお元をイギリスへと密航させ、お元の危機を見事に救っていましたね。お元を、あの様な救い方をしたら…先に密航しようとして自害した近藤長次郎の立場が無いのでは…と、疑問に感じてしまったのも、ここだけの秘密です。。。

何と言いますか…見事に犯人を突き止め、見事に証拠を握り潰され、見事に単身で嫌疑を晴らし、見事にイギリス密航を成功させる…と、今回の『龍馬伝』は、正にお見事続きの内容となっておりましたね。そのせいか、私的には笑いが止まらない 何とも笑顔が引き攣(つ)る程に、色々と面白さ満載の内容でした(苦笑) ご都合主義万歳の脚本ですね(爆)

ちなみに、史実での「イカロス号事件」の概要を言いますと…1867年 7月6日にイギリス船籍 イカルス号の水兵が殺害され、その殺害犯として海援隊の隊士 橋本久太夫ら数名に容疑が掛かります。英国公使 ハリー・パークスは この事件に大激怒し、土佐藩へと自ら赴き、土佐藩に猛抗議する事を幕府に伝えます。対応に困った幕府は、土佐藩へ事の次第を伝え、パークスを応対する様に命じます。そして、8月6日にパークスは土佐藩へと到着し、その応対役に後藤象二郎が抜擢されます(一説には この時、象二郎と共に パークスを説き伏せる為に、龍馬も土佐へと赴いたと言われています)。象二郎とパークスのやりとりは、象二郎の「犯人は土佐藩士ではない」と押し通した末、パークスが折れる形で8月8日に交渉が妥結し、パークスは土佐から去り、「イカロス号事件」は一応の決着を見る事になります。ちなみに、「イカロス号事件」の真犯人は『龍馬伝』でも言われていた通り、福岡藩士の金子才吉なのですが…史実ですと、才吉は事件直後に福岡藩に出頭し、自首した直後に自害しているのですが(ここまでは『龍馬伝』でも岩崎弥太郎の証言として描かれていました)…実は 福岡藩がこの事を隠匿していたせいで「イカロス号事件」の真相が判明したのは…事件発生から1年以上、龍馬の死後からは 10ヶ月も経過した1868年 10月の事でした。。。

さて、次回は「龍馬の休日」という事で、おそらくは 史実での 龍馬 最後の里帰りである 1867年9月23日~10月9日頃までの出来事を描くのでしょうね。と、言う事は…おそらく次々回では 大政奉還を描くのですよね。 うーん、これは もしかしたら…龍馬が自身で発案した 竹島・蝦夷地開拓計画や、間崎哲馬の考えに触発された贋金製造計画については、『龍馬伝』では描かれないのでしょうかね。。。 もし、描かれないのだとしたら、私的にはちょっと悲しいです。。。





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