08 | 2017/09 | 10

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戦国絢爛チョコ ~覇王降臨編~ その三 

前々回前回に引き続き、今回も『戦国絢爛チョコ ~覇王降臨編~』の武将カードをご披露させて頂きます♪v(^◇^)v♪


本日、最初の武将カードは、


石川五右衛門

◆ No.025 『 石川 五右衛門 』
☆ノーマルカード☆ 絵師:Mitsuhiro Arita
◆ パーソナルデーター 【知力/― 武力/― 政治力/― 魅力/― 運/―】
◆ 総合力/???


『 石川 五右衛門 』です。

武将カードというよりは、
忍者 or 盗賊カードと言った方が差し支えないかもしれませんね。

この『 石川 五右衛門 』のカードですが、
他の武将カードとは違い、裏面にある能力欄に数値が記載されていません。
そして総合力には???と記載されています。。。

『 石川 五右衛門 』は謎の多い人物なので、
能力値の測定は避けたのでしょうかね。

それはさて置いて、Mitsuhiro Aritaさんの描く、
『 石川 五右衛門 』は義賊然としていて、凄くカッコ良いです♪



『 石川 五右衛門 』と言えば、元は伊賀忍者で、後に天下の大泥棒として その名を馳せた人物として有名ですが、実際のところ 歴史書には、「京都を荒らしていた盗賊で、1594年の夏に京都の三条河原にて、一族郎党と共に油で煮られて処刑された」や「文禄の頃に京都を荒らしていた盗賊で、その光景を見かねた秀吉の命令で 前田玄以に捕らえられ、一族郎党と共に釜煎りにされた」と、処刑されたという記載がある位で資料に乏しく、『 石川 五右衛門 』の出自に関しては不明な点が多く謎に包まれています。その事からか、創作の対象として江戸時代では歌舞伎や浄瑠璃の演題として多く取上げられる様になり、やがて義賊としての『 石川 五右衛門 』像が定着して行ったんだそうです。おいらたちのよく知る 『 石川 五右衛門 』のイメージは歌舞伎や浄瑠璃が発祥なんですね(^▽^)





それでは、次の武将カードをば!


竹中半兵衛

◆ No.005 『 竹中 半兵衛 』
☆ノーマルカード☆ 絵師:日野 慎之助
◆ パーソナルデーター 【知力/9 武力/5 政治力/6 魅力/7 運/4】
◆ 総合力/3,250


日野さんの描く『 竹中 半兵衛 』。
新加納の戦いに向けての行軍か、それとも中国攻めに向けての行軍か、
行軍中に見せている憂いの表情が何とも良いですね♪



秀吉の七顧の礼に応じ、信長に仕える為に謁見するが、「秀吉の人柄(才能)に惚れ込んだので、信長ではなく秀吉に仕えたい」と言う風な事を信長に直訴し、信長もそれを許し、半兵衛は、それから終生 秀吉に仕え支えた名軍師として描かれていますが…実際は信長の直臣として仕え、姉川の合戦の後、信長の命で秀吉の与力となったという見方が現在 有力な説となっています。それから、先述の七顧の礼のエピソードに加え、浅井攻め、中国攻め、長篠の戦いの半兵衛に関するエピソードも創作の可能性が高いという見方が、これまた現在は有力だそうです。

けれど、斉藤家時代には、侵攻してくる織田軍を何度も破ったり、政務を顧みない主君 龍興を諌める為に、弟の『竹中 重矩』、舅の『安藤 守就』に加え16名ほどの部下と共に、龍興の居城 稲葉山城を、たった1日で奪取したり、織田家時代には、その知略で『黒田 官兵衛』の息子を救ったりしたエピソードは史実であり、その事からも『 竹中 半兵衛 』は、名軍師と呼ぶに相応しい武将だった事が伺えます。






本日最後の武将カードは、


明智光秀

◆ No.006 『 明智 光秀 』
★ホロ仕様カード★ 絵師:日野 慎之助
◆ パーソナルデーター 【知力/8 武力/5 政治力/8 魅力/7 運/4】
◆ 総合力/3,350

『 明智 光秀 』です。

『 竹中 半兵衛 』に続き 『 明智 光秀 』も描いているのですね。日野さんは。
前弾では確か14枚の武将イラストを手掛けていましたが、
日野さんは、今弾では何枚手掛けているのでしょうかね(* ̄▽ ̄*)~゚

日野さんの描く『 明智 光秀 』。本能寺の変のイメージでしょうか。
火焔を観ている光秀の何と妖艶な事でしょう。
私的にはとても良いイラストだと感じています。



何故 『 明智 光秀 』は信長に対して謀反を起こしたのか? 有名なのが、ドラマでは必ずと言っていい程取上げられる「八上城のエピソード」、「家康歓待のエピソード」などの 信長に対する怨恨説ですが、これらの怨恨説は江戸時代以降に創作されたモノが殆どで、その根拠は乏しいそうです。「八上城のエピソード」における、信長のせいで、光秀の母親が、敵方に殺害されるというのも 本当は母親は殺害されていなかったという説の方が有力だそうです。実際は、光秀が主君 信長を信奉しており、信長も光秀には厚い信頼を置いていたという記述が歴史書には多々あります。それを踏まえ考えますと、おいらなどは、信長の信任を失う事に対する強迫観念から来る「憔悴説」を背景に「野望説」に加え「黒幕説」などが、『 明智 光秀 』が謀反を起こした理由なのかなと思っています。

例えばですが…

譜代の家臣ではなく、新参者の光秀。実力主義の織田家中にあって短期間で、家臣団の中で屈指の実力者となった彼は、織田家中、随一の有力者である『 佐久間 信盛 』の追放に伴い、その後任となり畿内という 当時 情勢不安定であり繊細な問題を孕んでいた領地を統治する事となる。その事から光秀は、信長が『 佐久間 信盛 』に向けていた疑念を、今度は自分にも向けてくるのではないかと危機感を抱き、もしくは信長の態度から そう言ったプレッシャーを受ける事となり、光秀は、そうした猜疑心から みるみる憔悴して行き、やがて失脚するくらいならと、天下取りの野望に火が付いてしまい、反逆の狼煙を上げるのである。

まず光秀は、毛利家に庇護されていた『 足利 義昭 』とコンタクトを取り朝廷を動かす、朝廷も、このまま信長が天下をとれば、いずれ朝廷自体が解体される恐れがあると危機感を募らせていたので、光秀からの協力要請に応える。朝廷という後盾を手に入れた光秀は謀反の準備を着々と進めるが、謀反決行の数日前に『 足利 義昭 』から毛利家へと、その情報が流れ、毛利家から『 羽柴 秀吉 』にまで光秀謀反の知らせが洩れてしまう。秀吉は毛利家と和睦し、毛利家(小早川隆景)の協力のもと、村上水軍を使い水路から、驚くべき速さで京都へと辿り着く。

光秀は、『 足利 義昭 』の詰め甘さも計算に入れて、光秀が信長から暗殺の命を受けていた『 徳川 家康 』とも(信長が貴君の命を狙っていると暴露し)コンタクトを取っており、光秀謀反後は共闘する手筈となっていた。しかし、伊賀越えなどにより出遅れる形となってしまった家康は、三河に戻り兵を率いて、光秀と合流を図ろうと進軍するが時既に遅く、熱田神宮にて山崎の戦いの報を聞く事となる…。山崎の戦いにて秀吉に敗れた光秀は、落ち武者狩りを何とか掻い潜り、三河へと落ち延び、家康の庇護を受ける事となる。そして、後に南光坊天海として家康に仕える事となるのであった。

…かなり荒唐無稽ですが、おいらはこんな感じの説を押しちゃいます☆

兎にも角にも「本能寺の変」は戦国最大のミステリーであり、ロマンですよね。真相を知りたいのは勿論なのですが、けれど、このまま色々な方が発表する様々な説をワクワクしながら読み続けるのも大いにアリだなとも思う おいらでありますо(≧∇≦)〇゛♪






と、いう訳で今回ご披露させて頂いた武将カードは以上となります。ではでは、本日の『戦国絢爛チョコ ~覇王降臨編~』その三は、これにて幕引きとさせて頂きます(*^∇^*)〃





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